マジLOVEキングダムを観て -二次元の彼らと私たちの未来-
劇場版うたの☆プリンスさまっ♪マジLOVEキングダムを観に行きました。
公開日翌日に観に行ってから考えがぐるぐるまとまらないままだったのですが、考えてるうちに映画が終わってしまうのも悲しいので置いておきます。日記です。
※具体的な内容にはあまり触れていませんが、完全ネタバレNGな方は読まない方がいいかもしれません。
映画公式サイト:http://utapri-movie.com/
結論から言うと、どうにかしてたくさんの人に観に行って欲しい。
少しでもアイドルに触れたことのある人みんなに観に行って欲しい。
もう全宇宙に観て欲しい。
二次元アイドルフリークの私にとって、それほど感情グチャグチャになる映画でした。
内容もすごく良くて、良かったのですが、内容そのものだけでなく、
この映画が今公開されているという事実が私の今までの経験出来事人生さまざまなものを引っ張り出してきて知らんうちに涙がダバダバになりました。オタクの誇張表現かもしれませんが歴史的瞬間に立ち会っている…!と本気で思いました。
だってもう9年を迎えるコンテンツで、一番最近のアニメ4期が3年前で、原作ゲームも随分と出てなくて(新作進捗出ました!!おめでとう!!)それが今全編ライブ映像の映画*1を世に出すってもう、愛と歴史と覚悟すぎる…。
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ライブなんですよ。ライブビューイング。会えるんです。キャラクターが、本人がそこにいるんです。媒体としての声優じゃなくCGで投影された映像じゃなく、本人が…。本人が歌って踊ってトークする。そんなんオタク死ぬほど妄想してきた…えっ…現実…?
声優のライブ*2もCGのライブ*3もそれはそれで好きなのですが、向こうの世界で当たり前に観られている本人のライブの光景では無いんですよね。
(ここでのCGライブはVRや初音ミクライブのようなものを指しています)
やっぱり私は彼らの世界で生きる彼らが見たいから
例えばソシャゲのイベントストーリーとかで今度こういうライブやるんだ!て言ってたら行きたい!て思うし
きっとこういうお仕事してるんだろうなとかたくさん想像して生きてきた。
そのほとんどは私たちの前に届くことなく、向こうのオタク羨ましいな~と思いながら頭の中で楽しんでいる。
その私たちが見たいってずっと思って考えて妄想してきたこたえの一つがマジLOVEキングダムでした。
もう彼らが活動してきて9年経ってるのに、初めて知ることがたくさんあった。
動いてる音也くんってほんとにめちゃくちゃかわいい…(あたりまえ体操)とかトキヤさんライブ中こんなにご機嫌なんだ…(知ってたけど知らなかった)とか
たくさん考えてきたもののこたえ合わせのような全く新鮮な体験のような
まだまだ知らない姿がいっぱいあるんだっていう希望と全然知らなかったんだ…というショック、見せてくれてありがとうという感謝の気持ちでいっぱいになりました。知らないことがたくさんあるってことは生きてるってこと。生きてればどんどん変わっていくので。変わっていく今の彼らを見せてくれてありがとう…。
===
そして今うたプリがこういう映画を世の中に出せたのは
これまで私たちの前に現れて活躍してきたさまざまな二次元アイドルたちの存在のおかげだと思っています。
商業な以上やりたくても応援してくれる人がいてもある程度「売れる」見込みがないとGOは出ない。
愛がないと何もできないけど愛だけではどうにもならないこと、これまでにも経験してきました。
売れなきゃ死ぬし愛されてても母数が足りなきゃ死ぬし売れてたとしても上の判断で死ぬんですよね……… ……
「うたプリ」が世に出た時代って、男性アイドルモノなんて全然ありませんでした。あったかもですが、今と比較して。
だからうたプリはセンセーショナルだったしめちゃくちゃ盛り上がった。男性アイドルモノというジャンルの礎になったのはうたプリだと思っています。
きっとあの頃にも同じことやりたい、映画をライブにするのはどう?って考えてた人もいたと思う。オタクはみんな見たいに決まってるし…。
でもあの頃、あの一番盛り上がってたあの頃に今と同じ内容のものができて、今のように受け入れられていたかというと、ちょっとわからない。たぶんこういう表現に私たちも作り手側も慣れていなかったから。慣れてないとどうしていいか、どうなるのかわからない…。読みづらいし判断も難しいです。
アニメうたプリが世に出てから、歌って踊るイケメンたちはめちゃめちゃ増えました。
少ハリ、ツキウタ。、Bプロ、アイナナ、ドリフェス!、アイドルじゃないですがスタミュなどなど(アイ★チュウあんスタアニメ化おめでとう!)*4
手書きアニメだったりCGライブだったり、技術の進歩も含めて私たちが”歌って踊る二次元アイドル”に触れる機会はめちゃめちゃ増えています。
アイドルマスター初の男性アイドルものであるSideM、プリリズ時代からずっとずっと生きてきたオバレがキンプリとして映画を出せたのも、このアイドルムーブの存在があったからだと思っています。
(上はイケメンたちを並べていますが、ガールズでいうとラブライブ!やWUG、アイカツ!プリリズ系列、ライブ演出でのマクロスFやAKB0048などなど歌・ダンス・ステージの表現はここ数年でめちゃめちゃ進化してると感じます)
そして応援上映。
体験としての応援上映スタイルを広く認知させたのはキンプリだと勝手に思っているのですが、
あの成功がなかったらきっとこんなに応援上映に振り切った内容にできなかったと思う。
アイドルのムーブの中で出てきたものがまた他のアイドルの背中を押す、といった構図、めちゃくちゃエモイ。
(うたプリはライブの映像を映画館で上映する「シネライ」をやってきていたり、アニメ最終話でライブをやったりしているので、その流れももちろんあると思います。劇場版アニメの判断材料として影響があったのでは?と考えています)
受け手が二次元アイドルという在り方に慣れ親しみ、
作り手がさまざまな表現でアイドルたちを形づくることができるようになった
今だからこそ、できた作品なのではないのか。
もちろん愛がないとできない。もうめちゃくちゃ愛のかたまりに感じる。でも愛があってもできないこともある。
だって9年の歴史があって原作は乙女ゲームでとても大きい企業とは言えなくて固定ファンはついてるものの全盛期と比較するとブイブイ言わせてるとは言えないジャンルで…。きっと慎重に動かざるを得ない部分たくさんあったと思う。
そこを後押ししたのがうたプリが道を拓きそれに続いたアイドルたちの歴史の積み重ねなんだと思う。
もう完全に涙して愛した歴史の答えなんだよな…(ウィアスタ)
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ラストの楽曲「マジLOVEキングダム」に
「僕は大事に君を愛せているかい?君が好きだと上手に言えてるかい?」
という歌詞があります。
大事に愛する姿が、好きだと言っている姿が、目の前にあるこの姿なんだ…と思うと涙ボロボロでした。
うたの☆プリンスさまっ♪は音楽をとてもとても大事にしているコンテンツで
音楽によってこんなに愛を伝えてくれる。音楽で愛を感じることがこんなに幸せなことなんだ…。ハッピーパルス…
色々なところでプリンス様たちもスタッフの方々もおっしゃってたりするのですが、そしてアイドル全てに共通してると思うのですが、アイドルってファンがいて初めてアイドルでいられるんですよね。そしてファンもアイドルがいないとアイドルのファンでいられない。
うたプリってたとえばプリツイとか、展示とかなんかでも色々すごい「実在性」を大事にしてるコンテンツだなと思います。
描き下ろしは撮り下ろしだし、イラストレーターはカメラマンだし。(今はそういった表現よく見かけるようになりました)
そういう小さな積み重ねを作り手も私たちも信じることでプリンス様は現実になります。
そしてマジLOVEキングダムは現実になった。
お互いに信じて愛することでアイドルはアイドルで、ファンはファンでいられる。
これからきっと二次元の彼らと私たちはもっと現実になるんだろうな。
この映画を見て、そんな希望が溢れてきました。
冒頭にも述べましたが、私はたくさんの人にこの映画を、このライブに、足を運んでいただきたいです。
きっと少しでもアイドルに触れたことのある人だったら何かしら心が動く部分があると思います。
きっと今好きなアイドルのことを考えちゃうと思う。それが未来を現実にするんだと思います。
これから始まる夢に乾杯ハッピー未来
最後にひとつだけ
これからマジLOVEキングダムに入国するみなさん、是非最前席を!!!
絶対に彼と目が合います!!!!!!!
*1:同じく全編ライブだったものに少ハリhttps://www.youtube.com/watch?v=ttv5L7E95SMがあったように思いますが、そういえば少ハリは完全なライブビューイング視点では無かったような…?記憶が定かではない。全編ライブではあるけど、いくつかの公演をまとめたもので、まるまる1つの公演を流しているものでは無かったんだっけ。うたプリは楽曲諸々完全劇場版の新規なのか。一部にライブが入っているものはアイマスやラブライブ!などありましたね。マスピを観たいがために劇場に通ったあの頃…
6/26追記:有志の方に補足いただきました!少ハリの劇場での映像はクラウドファンディングにより「アニメ最終話のクリスマスライブダイジェスト→ラジオという名目での音声のみの全編ライブ→全編映像化」とステップアップして実現されたもので、対してうたプリは「全編新規映像」でのライブ映像で、これが「業界初」の形だそうです!ざっくりとした流れはこちら参照ください→https://www.makuake.com/project/shohari-xmaslive/
*2:声優のライブについて余談。特に普段アイマスにいるのもあるかと思いますが、声優のライブはスタッフやキャストのみなさんの表現したいキャラクターと私たちの考えるキャラクターのチャンネルをどうにかこうにか合わせてアイドルの姿を感じ取る儀式だと思っています。また、生身でしか与えられない情報(熱や湿度など)を感じられる特別な機会に思う。それはそれとして普通に声優のみなさんを見てる部分もある。ゆうまくんかわいい。
*3:CGライブについて余談。私は二次元の平面で生まれたキャラクターは二次元にいる姿の方がより生きていると感じます。私が三次元なので、私のいる世界に具現化されてしまうと私との比較で齟齬を感じる。彼らは二次元という並行世界で生きていて、それがアニメとか絵(写真)とかに変換されて三次元の私に届いていると思っています。(私も彼らから見ると彼らと同じようにアニメ調に見えていると思う)ミクさんはCGが一番生きてると感じる。ARPとか。普段どこで生きていると認識しているのかって重要に思います。今後めちゃくちゃ技術が発達したら本当にシームレスになるのかもしれない。
*4:今回アニメ映画ということで、記事ではアニメになっているものを並べました。アニメになっていないものやもう死んだものなど含めるともっともっとある…Readyyy!!!アニドルアイドルじゃないけど同じような枠でA3!ドリミ夢キャスバンやろなどなど ソシャゲ×イケメン×音楽のエリアめちゃめちゃ動きが活発 一昔前は女性と比べて男性声優は若手がガンガン出れる場所少ないなと思っていたので、ソシャゲの流れで新人でも表に出れるようになって良かった(?)と思っています
『妹の姉』を読んで -「ハダカ」をどう見るか-
RTで流れてきたので『妹の姉』を読みました
https://shonenjumpplus.com/episode/10834108156652911821
※美術高校に通う姉妹の話です。内容は上からどうぞ
読んだ感想としては、普遍的なテーマ、わかりやすい構成、よくあるよねこういうの~くらいで
想像以上に拡散されていたのでへえ~と思っていました(私には特に刺さらなかったため)
しばらくして感想でも眺めようかな~と「妹の姉」と打ち込むと「気持ち悪い」がサジェストされる
あ~妹気持ち悪いよな。たしかに。と思って見てみると
私の考える気持ち悪いポイントとは違っててええ?!マジ?!いやわかるけど…こんなにたくさんの人がこう思ったの?!
となったのがこの記事を書くきっかけです
勝手に引用して申し訳ありませんが、「気持ち悪い」ポイントで挙げられていたものは以下ブログにあるような諸々です
http://lty.hatenablog.com/entry/2019/05/02/135439
おおむね理解はできますがいやそれはさ~と考えてしまう
どうして私はそう考えてしまうんだろう?この作品内での女のハダカの扱いがなんで私には引っかからなかったんだろう?何がこの差を生んでるんだろう??
この記事はそういった思考の整理と感想のメモになります。長いです
※あくまで個人の感想であり特定の思考を非難する意図はありません
▼私について
自身も芸術系に進んでいて妹のいる姉でオタクです 創作物自体は擁護派
以下は上記の立場からの偏った考えが多分に含まれるかと思います
▼該当作品について
好きでも嫌いでも無いです
綺麗にまとまっているな~マンガうまいな~という感想で特別斬新さやインパクトは感じていません
個人的にこの作者の作品はあまり肌に合わないと感じているので積極的には読んでいません
『妹の姉』感想
■全体の感想
・普遍的なテーマである
・わかりやすい構成
・ジャンプっぽい作品
・なんか読後感良くないな~
●普遍的なテーマである
羨望と理想と現実、姉妹のコンプレックス、天才と努力
下だと思っていた相手に追い抜かれてしまうこと
自分より上の相手に理想化される居心地の悪さ
それから逃げてしまうこと、立ち向かうこと
個人的には思春期あるあるだな~みたいな気持ちで読んでいました
後述しますがジャンプっぽさもここに感じています
●わかりやすい構成
これも後述しますが「ハダカ」を「描く」をキーに
・妹から理想の「ハダカ」を描かれる
・妹の「ハダカ」を描こうとする
・自身の「ハダカ」を描く
という流れが無駄なく展開していて、なんというか「お利口さんなマンガだなあ」と感じました
●ジャンプっぽさ
努力、友情(おそらくこの場合は姉妹愛?)、勝利!
特に最後姉が「努力」によって「天才の妹に理想化された己の姿」を塗り替えるところめちゃくちゃジャンプだな~!!
たぶん掲載誌がアフタヌーンだったら勝てなさそう(?)
ジャンプでいう「殴り合いの末の友情」のようなものがこの作品では「お互いを描き合うこと」で表現されている感じ
同じ土俵に上がる、拳で通じ合う、といった特有の作法(?)を感じました
理想の姉でいられることを選ぶ強さとある種の歪さにジャンプの主人公を感じる
姉 怖い(私はジャンプの主人公はおおむね怖いです)
●読後感の悪さ
妹は今後もずっと姉のことを尊敬し理想とするだろうし結局姉は妹の理想化した自分と闘い続けることになるんだろうなあとか
妹は自分自身のことどう考えているんだろう?とか
作品内でいったん姉の感情は一つの区切りがついたもののお互いの感情は絡まったままに感じるため
なんというか「めでたしめでたし」では無いよなあ…というすっきりしなさです
たぶん見せ方として「いい感じ風」にまとまってるように見えるのも要因の一つだと思う ちぐはぐ感?
あとこれは個人的な感情になるのですが私自身も妹のいる姉であり常々妹よ私を尊敬しないでくれ…個として生きてくれ…と思っているので
そのへんが刺激される居心地の悪さがありました
と、ここまでが初見(初読?)のざっくりとした感想だったので世間ではこんな…こんな受け取られ方をしているのか…!!という気持ち…私は…どうして…?
じゃあ引っかかりポイントとしてあげられていた「ヌード」まわりを私はどう考えているんだというのが以下になります
■作品における「ハダカ」の役割
●「ありのままの姿」という意味での「ハダカ」
ヌードじゃなくて良くない?とか話題性とかインパクトとかとか見かけましたが
いや…ヌードじゃなきゃこうはならんやろ~!というのが私の見解です
(扉絵カラーのヌードでインパクトを狙う意図、あえて倫理観を崩している部分はあると思います)
というのも、作品内での「ハダカ」は「ありのままの自分」「自身のイデア」のような意味を担っていると考えるからです
冒頭で自身のヌードが飾られることに主人公は反発していますが、それは単に「身体としてのヌードを飾られることが嫌だ」というのみの表現ではないと感じます
妹の想像で描かれた理想化された自身の「ハダカ」がコンクールで金賞を取る、そしてそれが学校の玄関前に1年も飾られる
主人公にとってこの「ハダカ」は現実の自分とは異なる、自分より出来の良い理想化された姿です。
玄関先なので私のことを知ってる人知らない人多くの人に見られてしまう、特待生で入学した「天才」の妹の理想の姉とはかけ離れていることを知られてしまう
そして自身も、妹とも自分とも向き合えていない現状を常に突きつけられてしまう
生徒に茶化されているシーンもそれを表しているように見えます
「乳首キレイなんだね」「絵の方が胸もっとあった気が」
という発言に主人公は言い返していますが、おそらく現実の自分と違う理想化された箇所なのだと思います。
そして親戚が集まってきて集合写真。中心には妹の描いた理想的な姉。
「絵の方が実物よりかわいいわね」というセリフがこれこれこれ~!!て感じですが
妹と離れるために「就職」を選んだ姉(アートの世界だと就職は負け組ととられる場合がある)にとって
現実の自分がなろうとしてなれていない理想の姿ばかり見られてしまうことは苦しく屈辱であるだろうと思います
逃げようとしたのに…なんやねん!お前は…いつも……!!みたいな…
(これは完全に勝手な想像ですが、就職を決めた姉のことは家族や親戚はそんなに盛り上がってくれなかったのでは?とも思います
せっかく美術系に進んだのにねえ…もったいない的なこと言われがち)
(余談ですが、どれかというと私は「乳首キレイ」「胸もっとあったような…」という発言にちょっと引っかかりました
乳首キレイで胸がある方が勝ってるんかい…みたいな…そもそも肉体に価値として勝ってるも劣ってるも無い…
それはそれとしてリアルJKだとそう考える方が自然だなと思うので変えて欲しいとかはないです)
(「クラスに男子がいない」、「乳首」「胸の大きさ」について言及していたのは言い返せる関係のクラスメイトの女子であるという点で
「男性に性的消費されている」という描写をできるだけ避けようとしている意図は感じられます
私の感情としては指摘されて姉怒ってるやん!も~やめぇや~みたいな気持ち
※後述しますが私は乳首や胸の大きさの話をすること自体はポルノだと認識していません)
●「ハダカ」を「描く」ということ
前述しましたが、この作品は「ハダカ」を「描く」ということを鍵として展開されています。
ここでの「描く」はおそらく「向き合う」「対峙する」ことです
妹の想像で描いた姉は「乳首の色」「胸の大きさ」が現実と異なっていた
これらは服の上(うわべ)からではわからないことです
自分の想像の中でしか姉を見ていなかった妹、妹にはよくできた理想の姿しか見せたくなかった姉
この状態で妹に本当の姉の姿が描けるわけありません
(同時に、妹の描く姉=妹の理想の姉=姉が妹に見せていた姉自身の理想の姿ということで、
妹の作品は姉にとってかつての自分自身の理想の姿でもあると捉えています)
(ひじから先、ひざから先が隠れているような構図も「姉の全部を見れていない」ことの表れに感じる。姉の自画像は手も足も全身見えるような絵になっていたので余計に)
そして姉は妹の「ハダカ」を「描こう」とする
「乳首は真っ黒に描き~」で妹が微笑んでいる(?)のはまあ妹キモイな…てのもありますが
後のセリフにもあるように姉がやっと向き合ってくれた嬉しさの表現かなと
姉の「ハダカ」を「描く」ことで試みた対話が…入学してから離れてしまった姉に対して、姉のことを今も見てるよ、理想の姉だよ、という投げかけ
結局この作品は完成していない(コンクールに出していない)ので
妹のことを見ようとしない姉には妹のハダカは描けませんでした
次に先生が妹の作品の説明をしますが、ここでは「裸体」という表記が使われています
今まで「ハダカ」表記だったのを「裸体」としてるのは意図的なものと感じます
というのも、「ハダカ」は上記「自身のイデア」という概念を含んだ象徴的な言葉とされてると思うからです。
ここで「裸体」と表記することにより、今までの「ハダカ」にまつわる云々は現実の裸体という意味だけでなく主人公の主観も混じった概念的なものであることを読者にわからせているのかな?と思いました
現にここで初めて主人公は妹の描いた絵そのもの(技巧含め)、現実の妹自身に目を向けているように感じます
おそらく描かれるモチーフとしての現実の肉体の話をしているのはここだけでは?と思う
(「教え子のハダカなんて初めて見た」これは私もちょっと引っかかっています(意図的に引っかからせる台詞ではあると思うエロマンガみたいだもん)
このハダカってどういう意味なんだろうなって考えてたんですけどこのハダカ=妹の描いた想像上の姉=姉の理想の姿であるので
理想として描かれる(裸体をただ描いたという意味以上の象徴としての)ハダカは初めて見たのか?美大ならまだしも高校だし(偏見) うーん
普通に引っかかりを与えるためだけの台詞な気もする)
そしてここから姉は必死に「描き」始める
妹と向き合い妹の中の自分と向き合いそして現在の自分と向き合って導いたこたえが
ふんぞりかえっている姉!これが私だ!ていうやつ
「ハダカとはこう描くものだ」「妹の姉だから」いや~!覚悟~!!て感じます
「妹の姉」タイトル回収アツイ
このへんどうしてもジャンプやん~~!!みたいなテンションになってしまう
「妹の事を見ない様にしていたから妹のハダカを描けない」これがこの作品内で「ハダカ」が何を表しているかの全てだと思いますね…
(余談ですが自画像ってどうやっても写真を撮ったり鏡に映したり何かを介して見ないと描けないので
姉が自画像を描く(=自分自身と対峙する)にあたり介したものが妹なんだな~とも捉えています)
そして描いた「姉自身」の姿が「妹の描いた姉」の姿を塗り替える
ほんとは妹の考える理想の姉とは違うということを認めた上で「次はもっと私をよく見て描きなさい」
もっとよく見て描きなさいは対話しましょうって姿勢を表していると考えます
「東京行っちゃう」と「言い逃げ」みたいにしてるのすごいこの…コンプレックス劣等感プライドの高さもろもろ感じる 今度はあんたの番よと投げといて距離をとる…自分とはいったん向き合えたけど今妹の投げ返してくるものを受け止める覚悟はまだないんだな…みたいな…まだ無いけどそれを妹に見せることはプライド的にできないため物理的な距離を理由に離れているんだな…次の行動を妹に委ねて…
それとは別に「就職」を決断し親元を離れて一人暮らしをするということで個としての精神的自立を表しているとも捉えています
最初に妹から目を逸らしたのは姉の方では?とも思ったのですが、
そもそも姉は妹に理想の姉の姿しか見せていない・見せようとしていなかった、妹も姉はすごいという気持ちが大きすぎたためにほんとの意味ではどちらもお互いのことを見れていなかったんだなと思いました
妹が姉を描いたことは対話の投げかけだったんだよねと思うしそれを絵でアンサーできたのも2人が同じ美術系の学校に通っているからで…これが家庭内だったらたぶん対話できていなかった 一度家庭から離れた場で個人として対話する必要があったんだなと思う そしてそれぞれを個として見てくれたのが芸術の場だったのだと思う
結末としてはやっぱり姉を追ってきた妹によりまたも逃げられなくなったわけですが
姉は姉で妹によって自尊心を満たしていたので まあ…
なんかここの女特有のべったりとしている感じが妙にリアルで気持ち悪い(偏見)(個人の感想)リアリティを感じるポイントって人それぞれだなあ
ということで、上のような役割を担うには全身の「ハダカ」が一番担える度高いかなて感じです 姉妹ということも含め、生まれたままの姿であることに意味があると思う
代替するのであれば顔のみの自画像などになるのかな~と思います
が、顔面のみだと誰だって「何も身につけていない状態」を見ることができるので説得力が弱くなる気がする
主人公もそれが玄関に飾ってあったところであそこまで「引っかか」らなかったと思うし…
(引っかかったとしてもあそこまで騒ぎ立てることに違和感がある、無断にしろ… 私の認知が歪んでるのかな…)
ストーリーを動かす装置として全身の「ハダカ」にしたんだな、という感想です
(上記とは全く別の観点として「服を着せることを避けるためのハダカ」というのもあると思います。服を着せるとなるとそれ自体に意味が生まれてしまうため…例えば制服なの?私服なの?スカート ?下着?丈は?どこまで肌を見せる? などなど 受け取られる情報を無闇に増やしてしまう)
●アートの場の利用
そしてそれができるフィールドとして「芸術」という場を利用しているのでは?と思います
「ハダカ」を「作品」として晒すことが許されている環境
妹の一般的な感覚からはずれている感性がそのまま存在できる環境
私はこの作品に「読後感の悪さ」を感じていますが、姉と妹の少し歪な感情を歪なまま、
一般的なものさしで測る必要性を避けて作品を進行できるのはそれが「芸術」の場であるからだとも思います
(芸術の場であれば何でも許されると思っているわけではなく、”一般的”な社会よりも諸々寛容に描きやすいよねという考えです)
私はどうしてひっかからなかったのか
勝手にハダカを描くな!それを飾るな!先生は止めろ!言い分を聞け!←わかる
わかるし物議をかもす内容だよな~とは思いつつこんなに反応があることに驚いていること、
そして自分があまり引っかかりを感じていないのはどうしてだろう??ということを考えていました
以下自分を見つめて文章にしてみたパートになります
■ハダカについて
●ハダカとポルノ
いろいろ考えて、私はハダカ自身には特に感情が生まれないのでは?という気づきを得ました
芸術系を通っているのもあるのかもしれませんが…
ただ脱いでるだけならそれは脱いでいったら最後は全裸になるよね、って感じだし
全裸自身は裸の体それ以上でも以下でも無いな…みたいな…
「感情を無視して道具として扱うな」「生きてるんだぞ」みたいに言われればまあ…そうか…と思いますが…
肉体は肉体そのものとしてしか見てなくて、ポルノは文脈から生じるという考えです
この作品だとハダカはジャンプ的試練の装置として扱われていたのであんまり引っかからなかったのかな
妹の描く姉がもっと何か官能的な感じだったらいやそれは…て思ってたかも(話変わってしまう)
前述しましたが乳首の色や胸の大きさの話をすること自体はポルノという認識は無く(身長の話するのと似たような感覚)
本人が恥ずかしがってたり嫌な気持ちになってたらそれは良くないよなあみたいな感じです
全然どうでもいいのですが、毎年夏が近づくとどうして女性の乳首は隠して男性は隠さないんだろう…いつからそうなってるんだろう…?
私が男性だったら上半身ハダカでプールとか嫌だな…と考えています(?)
●メタファーとしての「ハダカ」
例えばロボットもので精神世界ではハダカだったり
魔法少女もので変身シーンでいったんハダカのシルエットになったり
キャラクターが本心を吐露するシーンがお風呂だったり
ありのままの姿、本当の姿、精神としての姿
そういう文脈での表現としてのハダカに我々オタクは常日頃から慣れ親しんでいるのでは?
だから今回も「装置としてのハダカだな」という考えがすぐ生まれたのではないだろうか
「よくあるよね」と思ったのも特に衝撃や真新しさを感じなかったのもこれがあると思う
そして普段上記に触れない場合
ハダカに触れる場面はおそらく大多数がポルノの場面になるので
ハダカ→ポルノに行きつきやすいのでは??
芸術系を通っており裸婦像や石膏像、ヌードでの表現が芸術としてそこにあるという場を見てきたこと
二次元コンテンツでハダカでの表現を見慣れていること(……)が
今回の「女のハダカ」に引っかかりを覚えなかった理由な気がする
■創作物を創作物内の倫理観で判断する習慣
ルフィに殴っちゃだめとかナルトは孤児に配慮してないとかかっちゃん口悪すぎん?親の教育どうなってる?とか言うのは無粋じゃない?みたいなことです
創作物には創作物の中での倫理観があってそれは現実とは違うという考えが染み付いているというか…
私自身面白いけど倫理観が受け付けない作品ままあるのでそういったものをできるだけスムーズに処理できるようにという面もあります
今回は作品内の描写が現実に近い(主人公らの容姿や世界観の設定など)ことが違和感を生んでるのだとは思いますが
そこもあえてそうしてるんだろうな…(あえてそうしているので見逃せみたいな考えではないです)
また、私はに二次創作をたしなむ種類のオタクなのですが
「作品内のキャラクターを使って頭の中でごっこ遊びをする」習慣に馴染みがあり
「自己を投影する」という感覚が少ないことも理由の一つなのでは?
擁護になってしまいますが、主人公(姉)は妹が無断で想像上の裸体を描いたことをキモイと言ってるし抗議してるので
作品内でのキモイポイントは我々と一致してない?別に肯定はしてなくない?と思いますがどうなんでしょうか
■信頼できない語り手
基本的に私は一人称の物語に書いてあることが作品内での客観的な事実であるとは考えていません
全てそのキャラクター自身の感覚・倫理観・思考を通した上での事実であり自己申告です
私たちも「この人にはこれは言わないでおこう」とか「楽しくないけど楽しんでる風にしよう」とかなんかそういうのあると思います
そういうことです(?)
例えば少女マンガで主人公がかっこいいと思ってる男の子が客観的に見てもかっこいいとは限らないし
一人称で「親友」とされているキャラクターが向こうから見ても親友と認識してもらえているのかはわからないし
BLの攻めはすぐ受けの睫毛を長いって言うし腰を細いって言う
じゃあほんとはどうなのよ?!ていうのは特になく
一人称の作品は一人称の視点それ自体をそのまま受け取って楽しむものだと思っています
今回の作品も一人称なので
序盤に姉がマイナスな発言や出来事ばかり拾っていた(マンガに描かれていた)のは
妹に裸体を描かれた件で気が立っていたのかなとかも想像していました
(これは単にストーリー展開上のものだと思いますが)
何事も情報は取捨選択されて伝えられていると考えているため
「描かれていることが全て」で「描かれていないことは考えられていないことである」という考えはう〜んと思います
(結局出来上がったものが全てであり受け取られるものが全てであるとは思っています)
(メタ的に作者がそれを「描いた事実」「描かなかった事実」を批判されるのはわかる)
まとめ
批判がでるのはそうだよね、と思う
けど普通に読んでる人たちみんなに対して考えが足りてないんじゃないんですか?みたいな主張はどうなの??と思います
読んだけど特に思想を支持はしてないよとか
面白いけど引っかかりはあるよねとか
そういうのもあると思うし
そういうのも全部助長してると捉えられるのであればそれは…そうだね…
私は一般的な(というと不適切かもですが)感性から見ると違和感がある描写も含めて
思春期特有の不安定さ姉妹の感情、関係性、芸術という場の歪な倫理観をあえて描いてると捉えたので
これはこういう話だなって感じだしこの作品の倫理観が広く受け入れられるものとは思えなかったのであんまり危機感を覚えなかった
(ので、私の想像より多くの人が良いやん!みたいに言ってるのもマジか、みたいな気持ちになった)
(個人的にはよっぽど大人気少年マンガ特有のホモソーシャル感や潜在的マッチョ思考がうわ~て思っています)
配慮はもっとできたのかもしれないけど
仮に「そういう表現があります」とか表記してしまうと
「そういう表現」と認めた上で発表してるのかよ、作品下げろとか言われそうだなとも思う(偏見)
総評?としてはインターネットに放流するとこうなるんだな…という気持ち
「女のハダカ」ってだけでこんな感じになってしまうのが…その…こんな感じになってしまうゆえんなんだろうな…(だけとか言うの良くないですよ)
話ずれるけどだからみんな特殊性癖本はネットに上げず同人誌で出すんだろうな…(?)
私は妹というていで運営されている作者のツイッターはかなりキモイと思っています
完全に一人で生きているとかでない限り人間は生きてること自体が表現することになってしまうと思っているので(スケールがでかい)
これからもこういうこと考えて生きていかないといけないな~ おわり
具体的な批判?について考えてみたいろいろ
●マンガの向こうの空白
姉が悲しんでいないとか教師がフォローしていないとか突っ込まれてたけど
ほんとうにそうなのか?と思うとわからない
マンガでは描かれていないだけでもしかしたら向こうの世界では悲しんでたりフォローされてたりしたのかもしれない(し、私は姉の感情に関しては「普通は悲しむ」「悲しまないといけない」「悲しんでいる表現を描かないといけない」などとは思いません。こういう場面ではすべからくこういう感情になるはずだ、とか感情をコントロールしようみたいな考えの方がよっぽど暴力的に感じる)
マンガはマンガの世界で起きていることの一部を切り取ってこちらに伝えているものだと思っているので
「マンガの世界」で「起きていないこと」を指摘するのはどうなんだ?と思います
メタ的に「それを描いていない作者」を批判するのはわかる
ヌードでなければ、年齢の近い女兄弟でなければ、芸術というフィールドでなければこの短いページ数の読切でまとまる内容にはなっていないと思う
(まとめているのでマンガが上手いな~と感じています)
この物語は姉の一人称の物語で姉と妹の、姉と、理想の姉自身との物語なので
他の要素が削られているのはそう作られているから
描いていないものを描けというのも描いていないことは考えていないと判断するのも横暴で無責任に感じます
●男兄弟では描けないのか?
男兄弟でも同様の内容は描けるかと思いますが、個人的に女の姉妹より違和感出そうだな~と思います
というのも、現実男二人とも芸術系の学校(しかも高校)に通わせるか?というとう~んと思うので…
この作品が発表されたのは数年前とも聞いているので、今よりもっと「男が養う」「大学を出ないと良い職に就けない」「芸術は食えない」という固定観念が親世代にあるのが自然と考えてしまう
その中で「兄と同じ高校行きたい」という理由だけで弟を芸術系の進路に進ませるのか…?と考えると、少なくとも女姉妹よりは「ん?」と引っかかる人が増えそう このへんもなんかもう現実…て感じですが
テーマと関係無い違和感は減らすに限ると思っているので、私が描くとしても女にするかなあ、という感想です
それとは別に女のハダカが描きたいとか思っているのかもしれませんが作者じゃないのでわかりません
また、完全に偏見ですが男同士となると一定層には「BL」として消費されているなあと思います
たぶん私のタイムラインにも「このBLがすごい」みたいな感じでRTされてきそう(偏見)
(BLとして消費されることが悪いことなのかというと考えがうまくまとまらないので保留したいです。ただ男兄弟で描いた場合は女姉妹で描いた場合とはまた異なる問題が別途でてくるだろうということと、そのことについてはどう考えてるんだろう?という疑問です)
オタクの人生で働くということ -就活にあたりの思考メモ-
こんにちは。床といいます。
新卒からの就活、転職と経験する中で
自分がオタクとして生きていく中で働くってどういうことなんだろう?と
考えたことについてちょっと書き出してみようかなと思います。
あくまで現状の個人の考えなので、それは違うよ!とかあってもそうですね。完。です
自分の思考整理のためが主なのでまとまりは無いかと想いますが
もし何か参考になる部分あれば
【働くことについて】
◯人生における仕事の割合
会社に勤めると仮定すると、基本的に1日8時間、週5日を労働に費やすことになります。
1日8時間寝るとすると1日の半分(実際は通勤時間や残業など考えるともっと)
週の5/7
割合、デカ!!!!!!!!!!
このデカイ時間、使うなら好きなことに使いたい……(好きなことしかしたくねえ…)
ということで、好きなことを仕事にする方向で進めてきています。
◯好きなことを仕事にするって大変?
そもそも何をしても大変なこと、嬉しいこと、やりがい、成長するポイントは転がっていると思っています。
私は今クリエイティブ系の専門職ですが
就活中は家族から大丈夫?食べていける?今からでも公務員試験受けとかない?など
声をかけられることがままありました(心配する気持ちもわからなくはない)
じゃあ例えば公務員だったら安定して食べていけるのか、
今の職と比べて大変ではないのかと言われると
必ずしもそうではないんじゃないかな~と(そもそもやりたくないし…)
どうせ何やっても大変なら好きなことで大変になりたいし
好きなら大変になっても頑張れる(だろう)と考えたためこういう進路に進んでいます。
※どちらかというと技術職の方が何かあったときに潰しが効くと思っています
突然会社が倒産したりしてもひとまず個人で食えるので
※知人は「好きなことで大変になりたくない」という考えで全く関係ない業種に就いていました。人それぞれだなあと思います
◯会社勤めとフリーでの活動
フリーもちょっと考えました(朝起きれないので…)
ただ、以下内容より新卒時の進路として基本会社勤めを選んでいます。
・「新卒」は就職しやすい
現在日本の就職活動現場では「新卒」を一気に採用する流れが主流です(ちょっと変わってきてますが)
ということもあり、何もないより「新卒」の方が条件ゆるめで会社に入りやすいです。
というか、実務経験ナシだと新卒で入るしかない…(なくはないですが難易度が上がる)
・「実務経験」が積みやすい
特に転職活動では「実務経験2年以上~」などの条件がよくあります。
そういった場合に会社に入っていた方が「実務」として認識してもらえる内容を経験しやすいです。
また、個人だと経験できる内容に偏りが出てしまいがちですが
会社に入ると色々なことにちょっとでも触らせてもらったりできるので
手持ちスキル札を増やしやすいです
ソフトも会社の使えるし…
例)フォトショやイラレの実務経験、3Dソフトの実務経験、複数人のリーダー経験など
・モチベ/スキルの向上
1人で専門職だとなかなか新しいスキルを習得したりモチベを保ったりが難しいですが
会社だと周りに人がいるのでコントロールしやすいです(逆にしにくい場合もあります)
・毎月確実にお金が入る
これが一番
とりあえず入って実務経験積みつつ~今後どうしていこうか日々探っています
・福利厚生
保険と交通費支給がとても助かる
また、例えば本腰入れてフリーで活動していきたい!と考えたとして
在宅勤務できないか相談してみたり、週5勤務から週2に減らしてもらったりなど
正社員だと難しいですが、フリーしつつ会社に置かせてもらう雇用形態もあるので
どんな風に働きたいかな~と考えると割とどうにでもなるかなと思います
・フリーでの活動
余力があればやっといて損はないかなと思います
いつ会社が傾くかわからないし…
会社であまり好きな部分が担当できていなくてもフリーの仕事で好きな内容をやったりなど
モチベのバランスを整えるのにも使えます(?)
※規定によって副業禁止だったりするので契約内容確認しましょう
【じゃあ実際どんな会社で働く?】
◯軸を決める
まず以下の3つを考えました
人生で達成したいこと
・色んな人を幸せな気持ちにしたい
好きなもの/興味のある分野
・アイドル
・動物
・教育
やりたいこと
・デザイン
・そのものらしさを伝えたり魅力を引き出せるようなことがしたい
・整えるよりは企画寄り/自らコンテンツに触れられる部分を担当したい
私は今まで色々な好きなものに助けられてきました。
受験のときはニコニ●動画で高槻●よいちゃんの動画を見て元気付けられたり
就活のときはH●YATO(一ノ●トキヤ)さんの七●のコンパス聞いて勇気づけられたり
なので、今まで助けられた分何かお返しがしたい、
ほかの色んな人にもこういう気持ちになってもらえたらいいなという思いがあります。
上記のような気持ちの部分と実際携わりたい分野など照らし合わせ
それが経験できる会社ってどんなところがあるんだろう?と考えていきました
▼実際にやったこと
①自分がやってるゲーム見てるアニメなど好きなコンテンツを書き出す
②開発・制作元・関連会社などを調べる
③求人情報を調べる
例えばア●マスを例に挙げると、
発売元はバン●イナム●エンターテイメントですが、
開発元は初代は●トロ、最新のシャイ●ーカラーズは関連会社の●XDです。
音楽は日本コロ●ビアやランテ●スが担当していて
アニメはA-● Pictures
ほか作画やグッズ制作、イベント、振り付け、衣装、紙面デザインなど
色々な会社が携わっています
(情報間違ってたらすみません…………)
(アイ●スのライブでは協賛を読み上げる文化があるので(?)実感としてあるかと思います(?))
ので、アイマ●やりたいからバ●ナム!というだけではなく
どこにいったら何ができるのかを考える材料として色んな会社を調べると良いかなと思います。
・好きなコンテンツだと会社のことにも詳しくなっている
オタクなので好きなものは会社やスタッフも確認するんですよね…
なので、自分に合ってそうかどうかも測りやすいかな~と思います
好きだけど運営は嫌い…てところは避けた方がいいかもしれない
・デカイ会社は落ちやすい
能力や技術が…もありますが、そもそも応募が多いためざっくりとした足切りに合いやすいです
現在の開発メンバーのバランス的に若い人がほしい、女性がほしい、など
求人情報には載っていないけど内部の状況として条件があったりもするので
デカイ会社だけに絞ると落ちまくって手持ちがないという状況になりがちです
※新卒の試験は面白いものが多いのでやってみる分にはめっちゃ良いと思います
・その会社でほんとにやりたいことがやれるのか?
例えば絵が描きたい、プログラムが組みたい、などだと
上の方の会社ではやっていないことが多いです
(いわゆる開発を下請けや関連会社に任せているパターン)
なので、実務としてやりたいことがはっきりしている場合は
開発元を調べてそちらにアプローチした方が見つかりやすいです
また、デザイン一つにしても、グッズのデザインや紙面のデザインなど色々あるので
自分が特にやりたいこと、わくわくするのはなんだろう?と考えるといいかなと思います
調べていくうちに えっ!!!こういうのもあるのか…めっちゃ面白そう…てのが見つかったりもします
↓直接関係はないですが、りぼん組み立てふろく設計者への取材記事です。
こういうのもあるのか~めっちゃ面白!!!と思いました こういうのもあるのか…
なんでも展開図にできる!「りぼん」組み立て紙ふろくの設計者http://portal.nifty.com/kiji/170703200050_1.htm
◯大きい会社と小さい会社のメリットデメリット
経験したり話を聞いたりした中での自分が思うメリットデメリットです。
※専門職基準です
*大きい会社
メリット
・能力やモチベの高い人が周りにいる
・自分がいなくても回せる環境を整えやすい
デメリット
・多くの部署に分かれているため全貌の把握がしづらい
・業務によっては同じことの繰り返しばかりやることになる
*小さい会社
メリット
・人が少ないので色んなことを担当できる(色んなことを担当しないと回らない)
・企画や開発などどこがどう動いてどうなっているのか動きを掴みやすい
・デザイナーであっても企画に口を出したりなど小回りが利きやすい
デメリット
・能力やモチベの高い人が少ない
・何か新しいことを導入したい場合独学になりがち
・自分がいないと回らなる部分が多々でてくる
・キャリアアップのロールモデルが社内にいないことが多い
業務量や給与、福利厚生などは会社によりけり/自分があまり気にしていないため挙げていません
基本デカイ会社の方が給与は多く福利厚生整っています(当たり前体操)
○休みについて
オタクは土日祝休めないと死ぬので土日祝休み必須
できれば
時間/休みの融通が利きやすい
始業が遅め(朝起きるのが苦手なので)
で探しました
(ほんとに朝起きれないので始業10時以降で探していました)
今はいわゆる裁量労働制(技術職だと多いよね)
業務を調整して途中病院に抜けたり早退してライブ行ったりしています
*印刷所、イベント会社、アニメショップの店員など
同人イベントや公式のイベントなどに繁盛期・出勤が重なりがちなので
イベントに行くタイプのオタクは避けた方が無難です
(特にイベント行かない人なら気にしなくていいかも)
※逆にコラボカフェなどによく行く人だと平日休みの方が予約取りやすかったりします
◯そのた
・行きたくないとこは行かない
行きたくないところは内定出たとしても行きたくないので
行きたいと思えるとこだけ応募した方がなんだかんだ良いと思います
メンタル的にも時間的にも
・合わないところは合わない
内容は良さそうでも実際面接に行ったりメールをやりとりしたりする中で
ん?と引っかかる部分があるならやめた方がいいと思います
だいたい面接してくれた人が直属でないとしても上司にあたる場合が多いので
そこでちょっと…みたいなことがあると実際入ってからもちょっと…となりがち
・リ●ナビ/マ●ナビ/エージェントなど
登録はしていましたが全然使ってないです(通知がうるさかったので辞めた)
上にも書きましたが基本的に会社調べるとこから始めて
企業HPの求人から直で応募しているので…
HPのデザインが良いとこは金があるんだな~と思います(?)
【転職について】
そもそも新卒時に関してはのちのち転職するかも前提で就活していました
2、3年実務経験積めば転職できるな~くらいで
・転職の利点
新卒だと色々なことやらされて結局希望してないポジションに入れられたりしがちですが
転職だと最初から希望のポジションにピンポイントで入れる
(そもそも不足しているところを募集かけているので)
業種・職種の特徴もありますが
そもそもずっと同じ会社に勤めていこうという考えは特に無く
やりたいことができるとこでやりたいことがした~いくらいの考えでいます
ので、今の会社もやりたいことができなさそうになったら転職するかな~みたいな感じです
◯やってみたという事実を作る
こんな上手くいかね〜とかそれぞれ環境や事情あると思いますが
上手くいくように考えて行動してみたという事実を自分に与えるためにやっているので
結果はオマケのような感じです(?)
結果上手くいかなかったら それは上手いアプローチではなかったのだな。ということなので…(?)
好きだと思ってたけどやってみたらそうでもないかもとか別のことが気になったりとかそういうのも全然あります ので そういうことに気づくきっかけにもなるのかなと思います。
(実際昔はオリジナルで企画を進めたいと考えていましたが、今はどちらかというと既存のものの良さをいかに伝えるかという方向が好きだな…と思っています)
【おわりに】
私は仕事が好きです(好きなことをやっているのでそりゃそう)
インターネットなど見てると
仕事や就活のつらい話をよく見かけるので
そんなつらくもないよ~楽しいよ~というのを知ってほしくて書きました
(私もネットには脚色して書きがちだし苦しい話は伸びやすいのでわかる)
個人的な話ですが、知人が重い病気になったときに保険にだいぶ助けられたと言っていて
私は今のところ結婚する予定も直接社会に貢献するような活動もしていないので
働いて納税することで巡り巡って誰かの助けになることがあるのなら
めちゃくちゃ稼いでめちゃくちゃ納税しよう…という気持ちで過ごしています
(政治…がんばってくれ)
社会人になってからが断然楽しい お金大好き
今まで健康に平和に楽しく生きてこれて良かった~
みんな楽しく幸せに生きてほしい
まとまり悪いですが自分のための雑記として
↓就活に関して今まで読んだ中で一番具体的で好きな記事
就活生の方読んでみると何かヒントになるかもしれないです
(知人でも回し者でもないです)
ジャニオタのジャニオタによるジャニオタのための就活論 - 闘わなきゃLooser! http://takoyakitabetai.hatenablog.com/entry/2018/02/28/180533
===
※もともと地方の山奥出身です
トカイとのオタク格差が死ぬほどコンプレックスだったため、進学時に上京しています
記載内容に関しては、選択肢の多い土地だからできたことかなと思っています
(あくまで選択肢の話 都心部以外でも良い会社はあります)
人生において自分の意志で住む場所を変えられるタイミングは進学・就職(転職)くらいかなと思うので
田舎から出てえ〜オラ東京さ行ぐだ〜てオタクは計画的移住をおすすめします